サッカーの思い出「すねあて」 平元文雄

サッカーの思い出「すねあて」 平元文雄

 今から30年ぐらい前のことです。
私は滋賀県社会人リーグ「愛蹴会」というチームでサッカーをしていました。その頃はまだ「すねあて」の着用は義務付けされていなかったと思います。リーグ戦の試合で私は「すねあて」をしていませんでした。私が右足でふんばって左足でキックをしようとしたところ、相手チームの選手のスパイクが右足のすねを直撃しました。「あいたたた―」右足の下肢の骨(脛骨と緋骨)が折れてしまったのです。脛骨(太い骨)は見事に折れていて、筋肉を突き破っていました。私の状態を見にやってきたチームメートが、その様子を見て倒れてしまったほど、ひどい骨折でした。
すぐに救急車で近くの守山市民病院へ搬送されたのですが、担当医がおられなくて、栗東の済生会病院へ送られることになりました。
私は救急車に乗ったのはそのときが初めてでしたが、運転手さんに「もっとゆっくり行ってください」と声かけたのを今でも覚えています。車の少しの揺れが足にひびいて痛かったからです。
済生会病院に着いたものの、すぐには手術とはなりませんでした。折れた骨が斜めにずれているということで、かかとのところ2箇所をドリルで穴をあけられて細いワイヤーを通され、その先に重りを付けるという牽引をしていただきました。3日間絶対安静という経験をしました。その間、白い天井の穴の数ばかり数えていました。そう言えば、ベッド上でドリルで足の穴をあけてもらったときに、血が飛び散るのですが、隣に入院されていた患者さんが、自主的に私の体が動かないように私の体を押さえつけてくださいました。とても勇気のある、親切な方がおられたのです。この方には手術後もいろいろとお世話になりました。
3日間の牽引で折れ曲がった骨をまっすぐにして手術しやすいようにしたあと、手術は行われました。金属プレートで折れた骨をつなぎ止める手術でした。プレートは穴が何箇所かあいていて、その穴の部分にねじを打ち込んで骨をつなぎ固定するのです。まさに大工仕事ですね。こうして私の足の手術は無事終わりました。
それまでの手術はギブス固定が多かったそうですが、その頃から、リハビリを手術後できるだけ早く実施できるようにプレートを使った手術が多くなったようです。プレートの耐用年数は20年ぐらいだそうです。私は1年後、足にメスを入れてプレートをとってもらいましたが、お年寄りの方はそのまま入れておく方もおられるとお聞きしました。
長々と私の骨折のことにふれましたが、今、日本代表の練習を見ていても軽めの練習の時にはストッキングを下げて「すねあて」なしで練習している光景を目にしますが、やはり軽めの練習でも危険なことが予想される場合には、「すねあて」を使用したほうがいいと思って見ています。
もちろん、スポ少の子どもたちは、練習でも試合でも「すねあて」はしっかりとつけてくださいよ。骨折、入院はいやですよ。