「無償の行為」平元文雄
田の畔にちらほら、彼岸花(まんじゅしゃげ)が咲き出しました。今年は例年より、少し開花が早いように思います。今夏の多雨が影響しているのでしょうか。
でも、いつも決まったように、この時期に開花する彼岸花に不思議ささえ覚えます。しかし、よく考えてみると彼岸花に限ったことではありません。桜にしたって、つつじにしたってそうですよね。
よく実った稲の黄色と、この花の赤色がコントラストをなして、目にまばゆいです。
この光景を目にしますと、私は、『ごんぎつね』のアニメーション映画を思い出します。
村道での「カンキンカンキン」という野辺の送りをする音を聞きつけて、ゴンが誰のお葬式なのかを探すシーンです。
それが兵十のおっかあであったと知ったときから、いたずらゴンは変心します。 「兵十が川でとっていたウナギは、おっかあに食べさせるためだったのか。
そうとは知らず、オレは悪いことばかりして・・・・・・。 ゴンは数々の悪行を反省し、黙って兵十につくそうとします。兵十の家の土間に栗や魚を置いて、そっと立ち去ったりするのです。
しかし、その行為は兵十に理解されずに終わってしまいます。それでもゴンは続けるのです。
無償の行為は、あくまで報いを求めるものではないのは確かですし、とても美しいものです。それだからこそ、他人に理解してもらいがたい物悲しさを含んでいます。しかし、それでも続けることが・・・・・・。
『ごんぎつね』の著者、新美南吉さんは、そう言っているように私には思われます。
コメントをお書きください
4年の母 (土曜日, 13 9月 2014 00:37)
ちょうど、今 学校の国語の授業が「ごんぎつね」です。
毎日、宿題で音読をしています。
気持ちをこめて読んでいる声が台所まで届き、切なくなります。
子供たちは どんな風に感じるのでしょうか?