「ピッカピッカの1年生」平元文雄

「ピッカピッカの1年生」平元文雄

 私は水口町で青少年育成指導員をして4年になります。仕事の内容は

月2回、私の母校である水口小学校校門前で、登校時あいさつ運動を展開しています。

「おはようございます」と声をかけると、元気な「おはようございます」という声が返ってきて、こちらも気持ちよくなります。

 この間のあいさつ運動は入学式後3日目でした。

 あるグループの集団登校の先頭は6年生と1年生でした。手がしっかりと握られています。新1年生であるのは体の小ささや通学帽がきれいで真新しいということでわかります。6年生の手と1年生の手はしっかりと握られていました。ちょうど、若い恋人同士が固く握り合っている光景を思い浮かべてしまいます。

 1年生が集団登校の列の先頭なのがいいですね。歩くスピードが遅い1年生に合わせているのがいいですね。歩くスピードが1番遅い1年生に合わせているのがよくわかります。その後ろにいる6年生が1年生のランドセルを持っているのにも出くわしました。今まで保育園か幼稚園児だったのですものね。その子に代わって持ってあげている姿がとってもいいでした。

そのうち1年生もランドセルを背負うようになるでしょう。

 福祉関係の本を読んでいた時、岡田喜篤先生がこんなことを言っておられました。「すべての人を大切にする」という思いで社会福祉の営みを支えています。すべての人を大事にするとは、とりもなおさず、1番弱い人を大事にするということです。」と。

集団登校の場で言えば、1番弱い人と言えば1年生になるでしょう。

 手をしっかりと握られた1年生はきっとこの思い出を一生忘れないと思うのです。ありがとう6年生。

 私も一度だけ小学1年生を担任したことがあります。とてもかわいかったし、宇宙人のようでした。何回も同じ話をしました。

話が通じないことも多くありました。

毎朝、子ど もが登校する前に、下駄箱の前で待って、子どもが来たら抱っこして「高い高い」をしたことを覚えています。授業は失敗の連続でした。ひらがなも私のへたな板書の字に似てしまって最悪でした。

 でも、もう一度担任させていただけるとしたら、あの、天使のような1年生を担任したいなと思います。

 

 スポ少サッカーでも1年生の入団が今までありました。

 中でも一番印象に残っているのがSくんです。

 彼は最初、全体練習の中に入れませんでした。理由を聞いたら、「大きいお兄ちゃんが怖い」ということでした。

ピロティーまでは来るのですが、そこからの一歩が踏み出せませんでした。でもえらかったことが一つあります。それは連れてこられたお母さんが、「なにしてるの」とか「はよう、みんなのところいき」とか、せかされなかったことでした。何回かして練習が始まるときに、私が抱っこして、みんなの中にいれました。それから少しずつ、Sくんは集団の練習に入れるようになりました。

 6年生の時、Sくんはキャプテンに、お母さんは父母の会の会長をしてくださいました。


コメントをお書きください

コメント: 3
  • #1

    藤田コーチ (月曜日, 20 4月 2015 22:54)

    あ、S君て、そうやったや。
    知らなかったです。私が出会った頃は既にキャプテンの風格がありました。

    彼が卒団式で語った夢、覚えています。
    その夢が現実となる日を楽しみにしています。全部でなくても、いいから。

  • #2

    山中美千江 (火曜日, 21 4月 2015 07:35)

    藤田さん。
    そう、彼は1年生の1学期間、学校も親子登校でした。一緒に授業受けたりと貴重な経験を沢山させてくれました。朝だけなんです。行って慣れてしまえば別人に。監督にもアタシにも「6年生が怖い」と言ってましたが、ホントは違います。
    その時の6年生は4人。Tコーチの息子さんもいはりました。特にJくんには可愛がってもらってやったので、口実やったと思います。でも、学校のコトもあったので、また0に戻ってしまうと、と気長に付き合いましたが。
    他のチームならメンタルの弱さで帰れ!って言われていたかもしれません。
    平元監督やったから細部にまで目を掛けてくださいました。
    そのお陰で6年間が過ごせたと思っています。
    彼の夢…忘れてください。笑
    最終だけ叶う可能性はありますけどね(≧∇≦)

  • #3

    藤田コーチ (火曜日, 21 4月 2015 17:54)

    はいっ、最後に語った事は直ぐにでも叶うかも。待ってますよ✌️