「スポ少と学校の先生」平元文雄

「スポ少と学校の先生」平元文雄

 先日、びわサッカースポーツ少年団に菩提寺小学校に来ていただいて、2年生と4年生の練習試合を行いました。びわチームの監督をされている上野先生のたっての要望で実現できてよかったです。

 

 びわチームとは長年交流が続いています。

 

 それは前述した上野先生が菩提寺小学校創立時に(今から36年前)に勤務されていて、菩提寺サッカースポーツ少年団の創設に関わっておられたからです。その後、湖北に転勤されたのですが、そんな関係から交流は続いています。
 今でこそスポーツ少年団は社会体育の分野になり、地域の人々が中心となって運営されていますが、40年ぐらい前は、学校の先生方が、スポ少を立ち上げたり、その運営に関わっておられました。
 甲賀ブロックをみても、貴生川小の森地先生、甲南第1小の青木先生、綾野小の真野先生、油日小の宝本先生などです。
 私は少しばかりしか小学校の経験はないのですが、小学校の先生をしながらのスポ少の指導は大変でした。特に、学期末の成績提出時は大変でした。当時はまだ5段階評価でした。5をつける子はいいのですが、1をつける子にはかなりの抵抗があり、「ごめん」と心の中で謝りながらつけたことを思い出します。また、40人もの所見も大変でした。よく目立つ子は書きやすいのですが、特に目立たない中間層(この言葉は使いたくないのですがあえて使います)の子は思いつかないことが多く困りました。でも書かないわけにはいかないのです。
 これらの処理をするには土曜日、日曜日は家にこもって仕事しなければなりません。私はたのんで練習や試合を休ませていただいたと思いますが、そういかない試合もあり、その時にはパニック状態でした。だから、今、菩提寺で指導をしてくださる方にも、「まず、仕事第一やで」と伝えています。
 さて、話をもどしたいと思います。
 びわの上野先生は私の1年後輩です。大学の寮でたまたま同室で、私がサッカーに誘った間柄です。
 そんな縁もあって、先日の練習試合では、4年生の子どもたち、指導者、保護者の皆さまに菩提寺サッカースポーツ少年団の立ち上げ時の話をしていただきました。子どもたちも真剣に耳を傾けていました。また、その時、創設時の6年生でキャプテンをしていた中村さん(レスタのコーチや社会人チーム滋賀FCのコーチもなさっていました)も来てくださり、上野先生の話に重ねて当時の様子をお話ししてくださいました。

 

 ところで、中村さんの弟さんは菩提寺サッカースポーツ少年団の卒団生で唯一のJリーガーです。清水エスパルスで3年ほど左サイドバックとしてレギュラーをはっておられましたが、けがに泣かされ、私の記憶では、ヴァンフォーレ甲府を最後に退団されたと思います。
 けがに泣いたという経験から、整体の必要を感じられ、現在、イタリアのミラノで整体師として頑張っておられます。
 インテルの長友選手も中村さんのクライアントだそうです。昨年末に帰国された際、イタリアのお土産を兄さん経由でいただきました。うれしい限りです。3月の卒団式で披露したいと思います。こうご期待!


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コメント: 1
  • #1

    藤田コーチ (月曜日, 18 1月 2016 21:36)

    上野さんに、私も随分久しぶりにお会いしました。お元気そうでなによりでした。

    私が、びわSSSというチーム、そして、上野さんにはじめてお会いしたのは、私が、県選手権の県大会の主審で、2回戦、及び、3回戦の主審をさせて頂いた時です。ひたむきな選手達、厳しくも愛情のある鼓舞する声、すごく印象に残りました。

    県大会の数ヶ月後、菩提寺小学校での試合で、再会させていただきました。どうやら、私が主審だった事を、覚えて下さってました。なかなか、主審の顔まで記憶に残る方はおられないので、ただただ、恐縮したのを覚えています。

    その時、上野さんが菩提寺サッカーを創設された事を、はじめて知りました。

    当時、私は熱い熱い6年の保護者でした。