「もうすぐ春ですね」平元文雄

「もうすぐ春ですね」平元文雄

 この時期になってきますと、いつも思いおこす文章があります。大田堯さんの「教育とは何か」の中の一文です。引用させていただきます。サッカーの話ではありませんが読んでいただければ嬉しいです。

 それは、だいぶまえの話で、朝日新聞の「ひととき」欄への投書の内容から引いたものです。正確な引用ではありませんが、 双生児の姉妹の子どもさんの小学校低学年理科の時間に出されたテスト問題への答えをめぐる、たしか叔母にあたる方からの投書ではなかったかと思います。

 

 その問題は、「雪が溶けたら(  )になる」というような形式のものだったと思います。

 

 さて、この(  )の中に書き込む答えなのですが、双生児のうち一人のお子さんは、これまでの授業の経過の中で、その答えはこれだという確信があったに違いありません。教師の期待通り(みず)という答えを記入します。

 

 むろんマルをもらいました。もう一人のお嬢さんは、いくらかおっとりされたお子さんなのでしょうか、あるいは自分の頭の中からわき出たままにでしょうか、確信をもっていたのでしょう。その答えは(はる)だったのです。この答えも、低学年の子どもとしては、大きな自然現象として印象づけられてきたままにそう答えたのだと思います。この答えに対して先生は×印をつけたというのが、たしか投書の内容だったと思います。

 春と答えたお子さんにも、水という答えがあること、もう一つの事実としての自然現象を理解してもらうことも必要です。でも、私は(はる)と書いた子どもはなんてすばらしい感受性を持った子かなと思います。なんて素敵なんでしょう。なぜ春と書いたのか尋ねて、他の子に返してあげたいです。

 

 私なら、この子に×ではなく大きなはなまるをあげたいと思います。
 自分の期待する答えだけにマルをつける教師にはなりたくないですね。

 スポ少のサッカーも同じことが言えると思います。

 

 まず、子どもたちが自分で考えて意見を述べることが大事だと思います。
おおらかな気持ちで、子どもたちの思いや気持ちを受け止められる指導者でありたいものです。

 そういえばキャンディーズの歌に「春一番」というのがありましたね。「雪が溶けて川になって流れて行きます。・・・・・。もうすぐ春ですね。ちょっと気どってみませんか。
 
 もうすぐ春です。やっぱり暖かいところでサッカーがしたいです。春が待ち遠しいです。