「四日の命」平元文雄

「四日の命」平元文雄

 近江八幡市出身の染織作家、人間国宝で志村ふくみさんという方がおられます。
 現在、90歳を越えられておられるでしょうか。
 昨年、滋賀県立近代美術館で「志村ふくみ展」があり、出かけました。
 縦糸と横糸が織りなす妙というのでしょうか、その美しさに目を奪われてしまいました。
 また、志村さんは文筆家でもあります。著書、「一色一生」や「語りかける花」の中で、自分の思いを実にていねいに表現されています。その中では、自然の美しさや環境の大切さ、自然をいつくしむ心を感じ取ることができます。
 私はそれらの文章の中で、「藤原の桜」と「二千年と四日の命」が好きです。
 もうすぐ、桜の開花を迎えます。桜の花のピンクは見事なぐらいきれいです。私は初めて知ったのですが、桜の木の樹皮や枝をとってせんじると、その色は桜の花と同じピンクの色になるというのです。
 あの桜の花の色は一本の木全体で醸し出しているわけです。全身全霊でとよく言われますが、まさしく桜の花はそうなのでしょう。
 もう一つ、四日の命は蓮の花のことです。
 「四日の命」を丹念に記述した文章がありますので、引用させていただきます。

 

 昨年も私はこの稿に蓮のことをかいたが、最近ハスの研究に一生をおくった大賀一郎氏の本を興味深く読んだので、再び書いてみたいと思う。
 その本の中に酔妃蓮という花の四日間の命の推移が、午前零時から午後九時まで三時間ごとに写真にうつしてある。昭和十三年の撮影であるから、白黒の写真は古ぼけているが、大賀氏はよほど深くハスに心をよせていられたのであろう、切切と胸に迫るものがある。
 一日目は黎明のうすあかりの中で、かたく閉じられた蕾がかすかに開き、午後三時頃には再び閉じてしまう。
二日目は、午前三時に早くもひとひら、見事に開花する。内にゆたかな力をみなぎらせて、ゆるぎなき夏の花の大宗である。しかし、その美しい姿をとどめるのは、ほんの束の間、正午には再び花弁を閉じ、夕刻には蕾にかえるのだが、一日目の蕾よりははるかにふっくらしている。
 三日目には更に早暁より開花し、午前六時には満開となる。午前九時には触れれば崩れるかと思うほどに開き切り、風が吹けば倒れかかるものもあるが、決して散ることはなく午後開き切った花弁を閉じようとするが、蕾にもどるほどの力はなく、半開きのまま夜をすごす。
 四日目は早暁より満開となり、午後花弁はひとひらずつ散りはじめ、その日の中にすべて散り終る。
 
 この文章の中のなかでも、三日目、決して散ることはなく午後開ききった花弁を閉じようとするが、蕾にもどるほどの力はなく・・・・のくだりは、胸にジーンと響くものがありました。

 命のはかなさとともに、精一杯咲ききろうという蓮の命のしたたかさを感じ得た文章でした。