「相模原殺傷事件に思う」平元文雄

「相模原殺傷事件に思う」平元文雄

 作家、遠藤周作氏が、「生き上手 死に上手」という本のなかで次のようなことを書かれています。
 今の日本では人間の価値を考えるのに「いかに役にたったか、たたないか」の尺度をもってしているからだ。役にたつものは会社でも社会でも善、役にたたないものは無用、現代日本の人間観はこの機能主義に変わってしまい、最近はますます強くなっている、と。

 相模原市の障害者施設での事件から、もうすぐ1か月になります。犯行のむごさだけでなく、容疑者が発した「障害者はいなくなればいい」という言葉のむごさに心が痛みます。
 人は人とつながりながら生きている。サッカーの指導も社会もそうです。いつも書いているサッカーのことではありませんが、今回の事件に関して、私が思うことをメッセージとして伝えてみたいと思います。
 まずもって今回の事件でお亡くなりになった方々のご冥福を心からお祈りしたいと思います。

 私事ですが、私は教員生活の半分である20年間、国立療養所や知的障害児者施設で、重症心身障害児と呼ばれる障害の重い子らに関わりました。重症心身障害児とは重度の知的障害と重度の肢体不自由を併せ持った子らと規定されています。
 ほとんどの子らが寝たきりの状態です。最初の職場では、子どもの様子をまず知ろうということで、子どもたちの生活の部分にも入り込みました。更衣や食事の介助はもちろんのこと、お風呂の介助も行いました。そんな中で、こんなことに出くわしました。
 場所の移動は抱っこをしてするのですが、ある子は私の肩に片手をかけてくれるのです。その子が置かれている姿勢が不安定だったからかもしれません。でもこのことは私が、「こうしてよ」と教えたことでもないのです。そのことで、私の負担は軽くなりました。
 オムツ交換時、お尻を少し上げてくれる子がいました。それも、私が「こうして」と教えたことではありません。そのことでオムツ交換は楽になりました。
 
 子どもたちは病弱の子が多かったです。風邪をひいたら、それがなかなか回復せず、肺炎を起こして亡くなるという子もいました。
 子どもが亡くなった部屋で私が沈み込んでいると、婦長さんが来られて、「平元先生、いつまでも感傷に浸っていたらあかんよ。でもそういってしまう私もダメなんだけれど」とおっしゃった言葉が今でも記憶に残っています。普段の言動から私の尊敬する婦長さんでした。
 子どもの亡くなった部屋はすぐに消毒され、次に入ってくるであろう子のために準備がなされました。

 

 もう一つ紹介させてください。Aくんという子がいました。緊張の強い子で個室に入っていました。認識の高い子でした。隣の部屋のKくんが亡くなった時、おそらく、隣の部屋で職員がバタバタと動かれている姿を見て彼はKくんの死を知ったのでしょう。彼はそのあと、目をはらして、長い間、泣き続けました。号泣でした。私たちの誰がこの子のようにひたむきに生きているのかと自問自答しました。
 私はこの子たちと接するなかで、多くのことを私に気づかせてくれました。

 今回の事件は、人間尊重、平等という社会福祉の理念を根底から覆すものです。事件の容疑者がこの障害者施設に勤めていたと聞きました。仮に知的障害者が無用の存在だと思っていたとしても、勤めている中で、この人たちの素晴らしい笑顔や、一生懸命生きる姿を心で感じとれなかったかと思うと、そのことが残念でなりません。

 お互いの人格と個性を尊重し、支えあう社会をめざしていきたいものです。