「滋賀大学教育学部サッカー部110周年記念」平元文雄

 先日、私の母校である滋賀大学教育学部サッカー部創設110周年記念式典がありました。一昔前、社会人チーム(愛蹴会)で一緒にボールを蹴りあった方々と出会えたのは嬉しいことでした。元気もいただきました。
 110周年に際して、記念誌も発行されました。私もその中に寄稿させていただきました。
 このホームページで書いた内容を合体したものです。読んでいただければ嬉しいです。


「分け隔て無し」平元文雄

 先日、日野SCカップがありました。1日日程の大会でしたが、午後1時過ぎから雷と雨がすごく、主催者の判断で中止となりました。普通、主催者側はやり終えてしまいたいところなのですが、あの状況の中では中止やむなしという判断は適切であったと思いました。でも、勇気ある判断に感心してしまいました。

 日野SCカップでは、例年、全部の参加チームにトロフィーを用意されています。8位のトロフィーをもらっても嬉しくないかもしれませんが、順位ではなく、頑張ったチーム全部を分け隔てなく表彰したいという日野SCスタッフの思いが感じられてなりません。

 

 今から10年少し前になるでしょうか。私は八日市養護学校に勤めていました。そのときに、日野からスクールバスで通う一人の男の子(Hくん)を担任しました。彼は軽度の知的障害はありましたが、運動はとても好きでした。

 そこで、菩提寺SSSでサッカーコーチをしていた私は、彼が5年生の時に何回か菩提寺の練習に参加させました。私が5年生を担当していたこともラッキーだったのですが・・・。対人(2人組)練習ではペアをキャプテンの山本じゅんいちくんにお願いすることが多かったです。じゅんいちくんはとても丁寧に相手のことを考えながら、練習をこなしてくれました。うまくはないけれど、懸命に練習に取り組む彼の姿を見て、「やれる」と自信を深めた私は、Hくんのお母さんやお父さんに地域のスポーツ少年団への入団を勧めました。そのスポ少が日野SCです。
 日野SCの練習にも連れて行って、西村監督や山田コーチに事情を話すと快く受け入れてくださいました。練習での彼の様子を見て、周りのサポートもあり、私は彼のやりたいという意思さえ強ければ、「やっていける」と思い、お家の方に入団を働きかけました。お母さんは「無理ですよ」と言って躊躇されていましたが、私の「大丈夫です」という声を聞いて、悩みながらも入団を決めてくださいました。
 結局6年生からの入団になったのですが、彼はスポ少の練習にも休まず参加しました。6年生の冬に桐原カップがあり、そこで日野SCと菩提寺が対戦したことがあります。彼はずっと通しではなかったけれども、試合に出場していました。動きは他の子と比べると重いのですが、分け隔てなくつかって頂いている日野SCのスタッフの方には感謝感謝でした。
 その試合は菩提寺が大勝したのですが、試合後、彼が私に言った言葉は、「菩提寺強いなー」でした。チームの一員として、勝ち負けをしっかりと意識してプレイしている姿に感動したことを覚えています。
 6年生の一年間でしたが、卒団式後の慰労会に出席されたお母さんが、同年のお母さんから、「もっと早くから一緒にやれたらよかったね」と言われて嬉しかったと言われていたのが今も印象に残っています。

 

 彼はその後、八日市養護学校高等部を卒業して地元日野の工場に就職しました。今もサッカーを続けています。努力家ですから、リフティングも1000回は軽くこなせるようです。昨年出会った時には、「先生、車の免許取ったで」と言って、乗っている車を見せてくれました。
サッカーへの挑戦、そして、そのなかで得た自信が、彼の生活を充実させ、支えているのは間違いないと思います。
日野SCとのお付き合いはHくんを通して始まりました。そして今も続いています。
 
今、Hくんは27歳。知的障害者チームの日本代表候補です。
合宿にも滋賀から参加しています。
がんばれ Hくん!