「楕円球を追いかけたこと」平元文雄

「楕円球を追いかけたこと」平元文雄

 もう50年前のことになってしまったと、時の流れに驚きながら、当時の記憶をたどることにします。不正確な点も多かろうと思いますが、お許しください。

 私は高校時代ラグビーをしました。中学校の時はバスケットボールをしていました。そんなに運動神経もよくなかった私は、バスケットボールの5人というレギュラーにはなれませんでした。バスケットボールにくらべてラグビーは1チーム15名、ひょっとしたら試合に出られるかもしれない、それが入部の大きな理由でした。しかし、自分にとっては、ラグビーは未知の世界、自分にできるだろうかという大きな不安を抱えながらの入部でした。

 入部したころは輝かしい戦績を残された(近畿大会ベスト4)3年生は春で一線を退いておられ、1、2年生での練習でした。
 さっそくフォワードの一員に加えてもらいました。
 ラグビーってフォワードとバックスがほとんど最初から別々に練習するのです。最後のコンビネーションでは一緒なのですが・・・。
 フォワードはスクラム、ラインアウト、縦パスなどの練習が中心でした。
 小柄な私でしたが、1年生の時はスクラムの1列目(左プロップ)、2年生の時は2列目(左ロック)、3年生の時は3列目(左フランカー)をしました。学年を追うごとにおいしいポジションを経験させてもらいました。
 1列目は前から相手チームに押されるし、後ろからは味方チームに押されるし、へたをすると体が浮き上がってしまいます。「首の取り合い」と言って、相手とスクラムでぶつかった時に、内側に自分の力を入れられないと優位に立てません。「首の取り合い」で負けると、力が外に押し出されてしまうのです。
 今でもファーストスクラムが大事だと言われるのはそういうことかなと思います。
 2列目のロックは1列目のプロップとフッカーのパンツの間に顔を入れるから、目じりが切れたり、耳の付け根のところが切れたりしました。
 3列目は味方の攻撃を素早くサポートしたり、相手の攻撃の芽を摘む大事なポジションで、味方のトライにも絡めるおいしいポジションでした。

 2年生の先輩にはスクラムやラインアウトのやり方を事細かく教えていただきました。今、振りかえってみますと、3年生の春までラグビーを続けましたが、後輩より先輩の方が断然印象に残っています。

 さて、私の初トライは今でも鮮明に思い出すことができます。サッカーでの初ゴールは忘れてしまっているのですが・・・。
 それは秋にあった京都嵯峨野高校との定期戦でした。ラックから出たボールを先輩のHさんが拾って前進し、相手にぶつかって後ろを向かれたところへ、たまたま、サポートしていた私にボールが渡り、そのボールを大事に抱えながら、ゴールへ無我夢中で走り、ボールを左中間に抑え込みました。
 とにかく嬉しかったのを覚えていますが、試合後、キャプテンから、「お前のトライの仕方は何や」とおしかりを受けました。「トライをしたのに叱られるとは何ぞや」と思いましたが、きっと、ボールの抑え方が中途半端でおかしかったのでしょう。
 この嵯峨野高校との試合は9対3で勝利したように記憶しています。(当時は1トライは3点でした)

 練習の思い出では夏場のランニングパス(ランパス)がつらかったです。冬場だと連続して何本もいけたと思うのですが、夏場のランパスは2〜3本で倒れそうでした。
 雨降りの日は「タックルびよりやな」という先輩のうれしそうな顔を尻目に、タックルの練習をさせられたものです。始めはタックルマシーンを用いての練習でしたが、最後はいつも対人練習でした。
 むきになって倒そうとするのですが、先輩はなかなか倒れてくれず、ともすると抱きついてしまうような格好になってしまうので、「何を気分出して」とよくからかわれたものでした。
 寒い時期、タックルの練習を終え、ジャージを脱ぎ、身震いしながら水道の水で体を洗ったことも忘れられない思い出です。

 入部したころはたくさんいた同期の仲間も3年生の時には6名になってしまいました。
 戦績は決してかんばしいものではなかったですが、その後の生活を振り返った時、あんなに怖いと思っていたラグビーに挑戦できたこと、最後まで続けられたことが、何かにつけ、私の財産となって残ったように思われます。楕円球が私に与えてくれたものは大きいです。

 「継続は力なり」とも言いますが、時には「新しい扉をたたく」ことも大事だなと思っています。


 いくまくん がんばれ。


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