「樹液のうるおい」平元文雄

 今日もサッカーのことではありませんが、最後まで読んでいただければ嬉しいです。
 私の最後の職場は三上山のふもとにある第2びわこ学園(現びわこ学園医療福祉センター野洲)でした。
 2004年3月に第2びわこ学園は南桜の地から北桜の地へと移転しました。
 当時私は学園内にある学校職員でした。
 南桜のびわこ学園は玄関近くに木立ちがあり、夏の暑い時にも日陰ができ、風が通り、とても気持ちがいい場所で、私は好きでした。園生や職員さん、それから見学に来られた方にも憩いの場所になっていたように思います。
 メタセコイアの木がありました。そのうち一番背の高かった木はクリスマス時期には学園の職員の方によってすてきな飾りつけがなされていました。今、電線工事などで見かけるアップダウンするボックスに乗って飾りつけされていたように思います。すぐ近くを高速道路が走っていましたので、ドライバーの目をも楽しませたことでしょう。

 飾りつけのことはさておき、北桜への移転の際、学校も新しい校舎の周りに木を植えようと、かりんや姫リンゴなどの低木と樅の木などの少し高めの木を運び込みました。
 ただ、移転した北桜の地は土を20センチほど掘り返すとその下は岩盤で、木を運んでくださった業者の方も「うまく生えつくかな」とおっしゃっていました。結局、土を上に盛り、垂木で支える形で移植しました。
 北桜の校舎地は、学園の入り口でもありました。また、校舎設計の中でも、南向きの一番いいところを学校の敷地として提供してくださいました。学園の厚意にもこたえたいと思い、入り口のところに樅の木を植えたのです。
 何年かは元気でした。クリスマスの時期にはささやかながら、電飾で飾りつけもしました。でも植えた樅の木はだんだんと元気がなくなっていきました。
 そこで近くにある滋賀県森林センターの職員さんに来ていただいて、見てもらうことにしたのです。また、肥料などを入れて土を肥やしたら元気になるのではないかという淡い期待を持って・・・・・。
 でも森林センターの職員さんは、小枝を1本剪定ばさみで切り取ってみて、「だめですね。かれています」と言ってその小枝を見せてくれました。
 「木が生きていたら、小枝の中にも樹液が通っている。でもこの小枝は、ほらカラカラだろ」と。
1本の樅の木は枯れてしまいました。もう少し早くわかっていたら、手だてがあったのかもしれません。残念でした。