「S先生と一冊の本」平元文雄

本当に暑かった夏も過ぎ去り、秋本番を迎える時期となりました。

 今日もサッカーのことではありませんが、最後まで読んでいただければ嬉しいです。

 俳優の高倉健さんの名言に、「人生っていうのは、人と人との出会い、一生の間にどんな人と出会えるかで人生は決まるんじゃないですか」というのがあります。

 私も長い教員生活の中で、「こんな先生になりたい」と思った先生がおられました。S先生です。

S先生との出会いは私の20代後半でした。当時私は信楽町牧にある国立療養所紫香楽病院(現在国立病院機構紫香楽病院)内にあった養護学校に勤めていました。病院内には重症心身障害児病棟が二つあったのです。

 S先生はお若い時、大津の小中学校の先生をしておられたのですが、障害の重い子らの傍らにいたいという思いから、近江神宮近くの自宅から信楽の地まで通勤されていました。

 子どもたちの中でも全体学習に参加できないいわゆる「ベッド観察児」がいました。個室に入っている障害の重い子らが多かったです。S先生はそんなに長い時間ではありませんでしたが、その子らのベッドに行き、寝たきりの子どもらを胸に抱き、語りかけたり、外の様子がわかるように窓側に子どもの姿勢を変えたりなさっていました。いつも変わらずに・・・。

 退職された時、この子たちがベッドから見えるようにと、笛を吹く少年などがデザインされた「天使の塔」を自費で寄贈されました。その塔は今でも紫香楽校舎の前庭に残っています。

 職員会議の時に、「私は小さいとき、日の丸の小旗を振って出征される兵士を見送りました。でも、多くの兵士さんは帰ってこられませんでしたと、戦争の悲惨さや平和の尊さを発言されたことも強く印象に残っています。

 

 そんなS先生から一冊の本をプレゼントされたことがありました。山本周五郎さんの「柳橋物語」でした。先生のことですから、「こんな本があるよ、読んでみたら」などの言葉はかけられなかったと思います。

 登場人物のおせんが上方に出かけるという庄吉に「ええ、待ってるわよ 庄さん」と言うところから物語は始まるのです。自分のひとことに誠実であろうとおせんは努めるのです。自分に与えられた運命のもとでおせんは自分の道を選んだのです。そのことについてぐちは言うまいと。

 この作品から、山本周五郎さんの作品にはまってしまいました。名作「樅の木は残った」をはじめ、「虚空遍歴」「ながい坂」などの長編、「さぶ」「赤ひげ診療譚」などの中編など、むさぼるように読み続けた30代でした。

 私の人生はS先生や山本周五郎さんの作品との出会いに大きな影響をあたえられたといっても過言ではないと思っています。

 私が感銘を受けた本をあげましたが、本は読み手の思いや興味関心が個々に違いますから、下記にあげました3冊を読まれても、「なーんや、これ」と思われるかもしれません。その際にはご容赦のほどを。

 

 最後に先日、友人から今夏、S先生がお亡くなりになられたことを聞きました。ぽっかりと心に穴があいてしまった感じです。先生のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

そして、ありがとうございました。