「永井先生を偲ぶ」平元文雄

 雲井サッカースポーツ少年団の小西さんから、ついこの間、電話がありました。「永井先生が亡くなられた。葬儀も先生のご遺志により、近親者で営まれた」と。

 驚きでした。まだまだお元気でおられると思っていただけに。

 永井先生は雲井サッカースポーツ少年団で本当にお世話になった先生でした。心温かな先生で私にとっては恩師でした。スポーツ少年団としてのあるべき姿を身をもってお教えいただいた先生でもありました。

 先生が雲井から大津の坂本へ転居されてから、一度ご自宅にお邪魔させていただいたことがあります。

 昔の思い出話をしていました。私が、『先生、子どもたちに「やる気がなかったら家に帰れ」とよく言っておられましたよ』と言うと、「今の子にそれ言うたら、みんな家に帰ってしまうわ」と苦笑されていたことを思い出します。

 審判活動も熱心でした。ご高齢にもかかわらず、毎年実施される甲賀ブロックの審判講習会には雲井サッカースポーツ少年団の指導者と一緒に受講されていた姿が思い浮かびます。

 また、80代以上(何色のパンツだったかな)の関西シニアリーグにも参戦されボールを蹴られていたと聞きます。いつまでもサッカーの大好きな先生でした。

 以前、このホームページで永井先生との思い出を書かせていただきました(私の出会った先生 雲井サッカースポーツ少年団 永井先生)が、それを再びアップさせていただきましてお別れしたいと思います。

 謹んで先生のご冥福をお祈りしたいと思います。

 そして、ありがとうございました。 


「私の出会った先生 雲井スポーツ少年団 永井先生」平元文雄

 今回、雲井スポーツ少年団から予想だにしていなかった特別賞をいただきました。HPの写真で表彰状を渡していただいているのが永井先生です。

 

 私は1979年より信楽町にある雲井サッカースポーツ少年団に関わりました。当時、私は療養所の中にある学校に勤めていましたのですが、永井先生が、私がサッカーをしていたということをお聞きになって、「サッカーのコーチどうや」と声をかけていただいたのがそもそもの始まりでした。

 

 その当時は試合数も少なくて練習ものんびりしたものでした。指導の中心は療養所の医師である永井先生(現在:県サッカー協会副会長)がされており、とても素敵な先生で「サッカーの好きな子を一人でも増やそう」という思いで丁寧な指導をされていました。

 

 時には「やる気がなかったら家に帰れ」と大声で叱られることもありましたが、指導法もユニークで私もいろいろと勉強させていただきました。私も若かったので現役で県の社会人リーグの試合もあったのですが、先生は「あとは私が見ておくから、試合に行き」と言われていつも送り出していただいていました。懐の深い先生でした。

 

 雨の日の練習はもちろん中止。対外試合は交通機関を使って(一人ずつ切符を買わせて)出かけました。子どもたちは電車の中で大騒ぎでした。

 永井先生は大きな網袋に子どもたちのボールまで全部入れて電車に乗られていました。保護者の付き添いはなく指導者だけで引率をしていました。

 1試合勝ったらアイスクリーム、もう1試合勝ったらマクドナルドとかと子どもたちと約束をして楽しみを持たせたりすることも時にはされていました。

 

 今、永井先生は80歳を越えられていますが、まだ雲井サッカースポーツ少年団の1・2年生の指導を続けておられます。

 

 本当に尊敬してしまいます。

 

 指導者としては先生に少しでも近づけたらとの思いでいっぱいです。とにかく30年ぐらい前のサッカーは試合で負けたら指導者が子どもたちに、グラウンド10周走らせるとか、中にはグラウンドに正座をさせて平手打ちというチームもあったぐらいですから、雲井サッカースポーツ少年団の指導は本当に子どもたちの健全育成を目指していた気がしますし、そのとき教えていただいたことが今でも私の指導の手本としていきているような気がします。

 

 永井先生、今までいろいろとありがとうございました。これからもお元気で!そして子どもたちへのサッカーのご指導を元気な限り続けてください。


コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    永井洋 (土曜日, 15 12月 2018 22:21)

    平元先生!
    Facebookでは素っ気ないコメントで大変失礼いたしました。
    平元さん、いや、平元先生のこと、よーやく思い出しました。いま、坂本にて、母に平元先生の話をしたところ、くも膜下出血された話もお聞きしました。お大事になさってください。
    50日祭過ぎれば、また、Facebookに投稿しようと思ってます。