「先生、反省って何?」平元文雄

 新年あけましておめでとうございます。本年も菩提寺SSSをよろしくお願いいたします。

 小児科医、松田道雄さんの著書『教師の天分・子どもの天分』という中に忘れられない一文があります。「子どもに対して寛容であるだけでなく、先生は親に対し、親は先生に対し、子どもの教育に関して寛容でなければならない。ことに先生は自分の子の「欠点」について寛容である親を身勝手な人間と思わないでほしい」と。

 今の子どもたちのお父さんやお母さんが子どもだったころは、スポーツ少年団への入団は小学校4年生からでした。でも今では団員の減少もあってか小学1年生から入団できるようになりました。一つのスポーツ少年団内に小学1年生から6年生までいることになったわけです。体つきや発達段階もそれぞれ違います。特に低学年の指導が難しくなってきたように思っています。


 昨年秋、1、2年生の大会、伴谷スーパーカップがあり、私も出かけました。少し遅れて行ったので子どもたちは練習に出かけていました。青いビニールシートの上にそれぞれのリュックが置いてありました。ある子のリュックは大きく開いていました。1試合終ってから、私はそのリュックを膝の上において、話を始めました。
 「このリュック大きな口あいているよ」サッカーの話はまだよくわからないためか集中して聞けない子どもたちが耳をこちらに向けてくれます。さらに持ち物の点検みたいで嫌だったのですが、リュックの中に入っているものを取り出して、「これもいいなー」と言いながら、泥棒さんなら黙って持って帰らはるかもしれんよ。みんな、いつも口あけている? 閉じているやろ、と。

 試合に出られないベンチの子は砂いじりをしている子がいます。サッカーの試合を見続けることができません。サッカーの試合を見ることよりも砂いじりの方が楽しいからでしょう。そのようにとらえようとコーチ陣とは確認しあいました。
 さて砂いじりはどうしたらやめられるのでしょうか。私は正直難しいと思います。やはり、サッカーの試合に目が向くには、サッカーがある程度わかり、興味がわいてくるのを待つしかないと思います。
 昔の教育は、そんな様子を見たら、大声で叱ったり、頭や背中をたたいたりしたことでしょう。
 確かに子どもたちをきつくしめあげれば、子どもたちは怖いからその時は手直しするでしょう。でも長続きはしないし、それは本当の子どもの姿ではないでしょう。
 以前、キャップテンをしていた子が、「また、コーチに叱られるからしっかりやろう」とみんなに働きかけていることを聞いたことがあります。しっかりやることは大事ですが、コーチに叱られないためにしっかりやるというのは少し違うだろうと思ったものでした。

 もう1試合。キムラパワーカップが彦根荒神山Gで行われました。3、4年生の大会でした。
試合の前に子どもたちと二つの約束をしました。一つは試合に出た人はがんばって走ろうということ。二つ目は試合に出ないベンチの人はしっかり試合を見よう、ということでした。子どもたちに課題を与えたつもりでしたが、一つ目は別として、二つ目は何人かは砂いじりを始める子がいて、
課題設定に無理があるのが明白でした。
 ただ、砂いじりをしていた子が、私にこんなことを言ったのです。「カントク、トイレの中でも歩くのゆっくりゆっくりなんやね」

 私は普段でも杖をついているし歩くのはゆっくりです。トイレの中では子どもたちは普通、駆け込みになっているのかもわかりません。私の歩く姿に目がいったのでしょう。声をかけてくれた嬉しさとともに、この子はよく見ているなと思ったものでした。今は砂いじりに興じているかもしれないけれども、サッカーに興味を持ちだしたら、すごい力を発揮する子になるのではないかと思わせてくれました。

 最後に、3年生を担任した時だと思います。「ちゃんと反省しろ」とか説教ぽい話をしていたのでしょうね。話し終えてある子がこんなことを言いました。「先生、反省って何?」子どもは素直です。反省するのは私でしょうね。